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存在を、「意味の場」における現象と捉えることの意味

マルクス・ガブリエルの「新しい実在論」のポイントは、存在というのは常に、意味の場において現象するというところにある。そして、意味の場(Fields of sense)は無数に存在しているが、それを包括するような全体を示す「世界」というものは「存在」しない。世界が存在するとなると、世界が現象するための「意味の場」が要請されて、それは世界に含まれないことになってしまう。存在を、意味の場における現象と定義した場合、世界は存在しないということになる。

世界は存在しないという言明が意味を持つのは、たとえば科学において無批判に「世界」(科学的世界観における)が設定されてしまうことで、そこにいちづけられない(すなわち別の意味の場所に現象している)存在が、存在しないこととされてしまう危険を回避できることにある。

カントは、直接経験できない物自体について語ることの限界(理性の限界)を設定したが、それは一方で、窮屈なことになる。実際には、架空のユニコーンやドラゴンについて語ることはできるはずで、そこでの理性の限界は、たとえば科学的理性の限界であると言ったほうがいい。そこではたしかにユニコーンやドラゴンだけでなく、国民主権や神道、エスカレーターの右側通行などは、意味あるものとして「存在」しないかもしれないが、それは、意味の場が違うからなのである。