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「二重存在がつくりだす表現について」|場のシンポジウム2018

2018年9月1日、NPO法人場の研究所が主催する「場のシンポジウム2018」が開催された。「二重存在と日本の表現 ―世界に存在する自分、世界として存在する自分―」というテーマの今回のシンポジウムにおいて、東大名誉教授で場の研究所所長の清水博先生による講演「二重存在がつくりだす表現について」が行われた。

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存在論における時間性と場所性

清水は、「人間の在り方(存在)が地球の在り方(存在)と合っていないため、深刻な矛盾が生まれている」と指摘する。そのため、「全体的な秩序(居場所の〈いのち〉)を作りながら生きる」という二重存在としての在り方が必要となっている。

ハイデガーは存在論を展開した。しかし自己以外の存在社の存在を一般的に表現できないという限界があった。自分以外の存在者を自己への道具性として捉える自己中心的な限界である。そのため、存在を表現するのに必要な場所性が見落とされた。

西田幾多郎は「矛盾的自己同一」は場所性を捉えてはいたが、逆に存在の時間性を見落としていた。

二重存在と〈いのち〉のドラマ

清水が提唱する〈いのち〉の科学では、存在を二重存在として捉える。ハイデガーの「本来的存在」と「非本来的存在」という構造ではなく、「個体としての存在」と「居場所としての存在」という二重存在である。これは例えば家族においては、「個人としての存在」と「家庭の一部としての存在」の二重存在がある。

居場所を「舞台」として〈いのち〉のドラマが生まれていく。生きものは〈いのち〉を居場所に無償で提供することで、自己の存在を位置づける。これを〈いのち〉の与贈という。この与贈された〈いのち〉が自律的につながって〈いのち〉が自己組織化されて、「居場所の〈いのち〉」がうまれる。そうして居場所の〈いのち〉が生きものを包んで居場所に位置づけ、存在を安定化させる。ここに〈いのち〉の与贈循環が生まれる。

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そのうえで、与贈循環が起きるためには、独立した個体の存在が必要となると清水は指摘する。居場所としての家庭は「生活体」として家庭の歴史を生み出していくが、家庭を「舞台」として、家族が「即興劇」の「役者」として「〈いのち〉のドラマ」を共演していく現象である。このとき、与贈主体としての与贈力が問われるのである。

鍵と鍵穴の相互誘導合致

与贈する個体と居場所とは、鍵と鍵穴のように整合する。居場所に合わせて与贈すると同時に、居場所の側も与贈に合わせて形を変えていく。お互いに合わせながら、相手を誘導していく。これを相互誘導合致という。竹内整一のいう「みずから」と「おのずから」という言葉で説明するなら、多数多様な「みずから」が自己組織的に統合されて場となり、「おのずから」の形をとって帰ってくるといえる。このとき、行きと帰りとでは明暗の位相が変わってくる。

二重存在の例としてさまざまな例を挙げる。

  • 多数多様な約60兆個の細胞と、人間という個体
  • 多数多様な従業員と、企業という生活体
  • 多数多様な住民と、地域のコミュニティ
  • 多数多様な生きものと、地球という生活体

「色即是空、空即是色」もまた二重存在の表現である。色は物であり、細胞みたいなものである。空とは存在であり、ここでいう人間という個体である。それは色から生まれている。その場合「即」は与贈循環や総合誘導合致に相当するのだという。

居場所の未来から意味づけと存在の救済

ハイデガーは現存在を時間化したが、西洋哲学において死そのものはこの時間の中には含まれない。死の直前からの時間化である。一方、日本は死後の居場所を出発点に取る。死が含まれているのである。自己ではなく居場所に力点が置かれる。

その結果、ハイデガーが自己の死がある未来の方から、自己の存在を意味づけていく在り方だが、一方、与贈は居場所の未来の方から自己の現在の存在を意味づけていく。自己の存在を居場所に位置づける主体的行為なのである。

浄土真宗は「居場所としての存在」の形によって存在が救済させれると説く。その居場所は「浄土」と呼ばれ、その居場所の〈いのち〉が阿弥陀如来に相当する。それを「信じること」が、その居場所への与贈となる。柳宗悦の民藝論は、「浄土」からの〈いのち〉の与贈循環が「〈いのち〉の美」を生み出すと主張したと考えていいのではないか。

ニヒリズムの暗雲を晴らすために

現在から未来へ向かっていく時間の流れに対して、未来の内在的居場所から自己の現在の存在を意味づける「時間化」という流れが循環していくことで、〈いのち〉の即興劇が起こってくる。即興劇を演じるためには、調和のある未来の状態を共有して、その未来に向かってリズムを合わせながら共存在していくことが必要である。

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存在が救済されるためには、居場所への与贈が必要である。与贈によって救済を受ける鍵の形をある程度まではっきりさせなければ、どのような救済の場としての鍵穴と相互誘導合致させられないのである。もし今、苦労していくということがあれば、それは居場所と相互誘導合致させようとしていると考えるといいのではないか。

個体から居場所への〈いのち〉の与贈がなければ、「居場所としての存在」が生まれない。ハイデガーのいう「本来的存在」と「非本来的存在」のような存在の形が生まれて、〈いのち〉のドラマが消えてしまう。ナチ党に入党するような「ニヒリズム」(力の信奉と弱者へのハラスメントの押し付け)が現れてしまう。

「二重存在の与贈と与贈循環の活き」には多数多様な存在を生み出して、ニヒリズムの暗雲をはらす〈いのち〉の力がある。この力を大きくしていくことが、人間が他の生きものと共にこの地球に生きていくために必要である。

文責:小山龍介

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