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想定外の台風にみるメディア構造の転換

後追いのマスメディア

今回の台風、自宅が武蔵小杉なので、必然的に多摩川の氾濫に強い関心があった。Twitterには早い段階で冠水のツイートがあったし、今にも氾濫しそうな映像も投稿されていたりした。テレビはそのツイートを後追いで放送している構図は、(デマツイートには気をつけなければならないものの)一次情報を取得するうえでのTwitterの優位性を改めて感じた。交通機関でも、川の氾濫でも、状況確認するのにTwitterを検索するのが一番早い。

多摩川のリアルな氾濫映像は、このツイートで初めてみた。NHKはその後、この映像をそのまま放映していた。

 

マスメディアのもうひとつの問題は、「繰り返し」である。今、テレビを付けたばかりの人も想定しないといけないので、10分前に流した情報をまた、繰り返さないといけなくなる。ずっと見ている人は、何度も同じ情報を見ることになる。

官公庁サイトのダウン

Facebookでも投稿したが、肝心の国土交通省の「川の防災情報」はサーバダウンしてしまい、ページに飛んでも水位もわからない。NHKやYahoo!のサイトに飛んで確認するしかなかった。相当なトラフィックがあったと思うが、防災時に役に立たない防災情報サイトは、ほんとに笑い話にもならない。結局、Twitter情報に頼ることになる。

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マスメディアや官公庁という、これまで重要な情報を独占的に抱えていた組織が、今やそのヘゲモニーを一般ユーザーに譲り渡そうとしている。よしもとやジャニーズのゴタゴタも重なって見えてくる。「中央」的なものがサーバダウンしてしまい、肝心なときには個人で自助努力しなければならない時代なのだろう。

中間組織の不在

しかし問題は、政府と個人、マスメディアと個人のあいだにある中間組織的なものがまったくないという状況だ。マンションに住んでいると、町内会にも属しておらず、自分の身は自分で守るしかない状況に簡単に陥ってしまう。昔であれば声を掛け合って避難したはずが、避難の判断は、都市部においては完全に個人に委ねられている。

川崎市のマンションで一階部分に住む男性が亡くなっているが、浸水が起こる中でどうして助けを呼べなかったのか。浸水するという情報が届いていなかったのは間違いないだろう。NHKを見ていたって、多摩川近辺の冠水は他人事に思えたはずだ。Twitterを見れたかどうかが、生死を分ける時代なのだ。

news.tv-asahi.co.jp

武蔵小杉の住民の危機感の有無もまた、Twitterで情報をとっていたかどうかにかかっていた。市の出す「避難勧告」はまったく響いていなかった。NHKは「いのちを守る行動を」「最大級の警戒を」という奇妙な響きを持つ言葉遣いで緊急度を伝えようとしていたが、空振りしていた。それは、「マス」メディアの宿命とも思える。NHKが状況を伝えれば伝えるほど、報道がトラブルなく機能すればするほど、かえって悪い意味での「安心」を伝えてしまっていた。

その意味で、国土交通省のサイトのサーバダウンは、かえってよかったのかもしれない。「わからない」という不安が、自助努力を促していたのだから。