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オリンピックエンブレム問題にまつわる反知性主義

オリンピックのエンブレムとベルギーの劇場のロゴは、「庶民感覚で見れば同じ」というような反論がよく聞かれる。佐野研二郎氏が説明したように、そもそものコンセプトが違うことを理解した上で、僕自身はその指摘は、「そう見えてもしかたがないよな」と思う。「デザインのわかっている人にはわかる」というような「スノッブ」な態度に、「デザインのわからない庶民には同じなんだよ!」と反発する気持ちはわかるし、その気持を理解することが大切だと思う。知性的な物言いに対して反発する、こうした反知性主義は、インターネット時代には避けて通れない。

 

しかし一方で、(僕自身、知性主義者として)反知性主義一辺倒でいいのかとも思う。アートディレクターの仕事も知らないのに「盗用」というとき、僕はそこに反知性主義の不誠実な態度を見て取る。理解しようともしないのは、理解したら自分の主張の根拠である「庶民感覚」が崩れてしまうからである。反知性主義者は、知らないことによって、その立場を確保する。アートディレクターの実際の仕事内容など、知ってはいけないのだ。

反知性主義は、象牙の塔とやゆされるアカデミズムの閉塞や、デザイン業界も含む特定業界内の慣れ合いを打破する可能性を持つ(そしてそれはとても大切な可能性である)一方で、知ることを拒絶することで相手を批判し続けるという、子どもじみた立場に容易に陥ってしまう。無知で居続けることで無敵の立場を維持する、これもあるいみ厨二病のひとつと捉えてよいかと思う。

佐野研二郎氏は、ニャンまげやTブーS!など、反知性主義者にもちゃんと理解されるトーン&マナーでも知られる。

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今回のオリンピックエンブレムは、そうした流れとは異なる、知性的なアプローチをとっているように見える。(そして、それが気に食わない人もいる。)亀倉雄策賞を受賞したHOKUSAI_LINEなどは、その系列に属すると言える。分り易くない。

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こうした佐野研二郎氏の作品の流れをみていくと、今回はそれまでのシンプルでわかりやすい表現に、知性的なアプローチを融合したものになったと言える。そしてそのちょっと賢そうなエンブレムの佇まいが、反知性主義者たちの反感を買った。

繰り返しになるけれど、そうした反知性主義的な反発は、貴重なものだと思う。しかし、それが一線を越えてしまったとき、なんともうんざりした気持ちになるのだ。

 

山形浩生氏のこのエントリーには、すごく刺激を受けた。

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