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「専門家=利権構造」という決め付けから逃れるために

専門家と「一般国民」との対立を煽る人がいるけれど、それは本当に建設的な方法なんだろうかと思う。どんな領域でも、普通の人には分からないことがあるのは当然だ。もちろんそれをわかるように説明する義務も専門家は負う。しかし、今回はどんなに説明してもダメだった。「一般国民には分からない→利権にまつわる出来レースである」と短絡的に結びついた。とにかくコネ社会での出来レース、利権構造に矮小化された。そしてこれは、新国立競技場の白紙撤回と同じ構造である。

デザイナーで佐野研二郎さんを擁護する声が少なくなかったのと同様、ザハの案を支持する建築の実務家も多い。しかし、「一般国民」には理解されず、ネット民によってそれは「利権」と結び付けられた。たとえばこんな記事がでている。佐野さんに起こっていることそのまんまな感じだ。

今回も反対派のブログでザハのアーチが槍玉に挙げられると、アーチの基礎が地下鉄にぶつかる、アーチのせいで見積もりが高騰したなどという不確かな情報が一人歩きし、ザハ事務所が声明を出すたびにヘイトスピーチが沸き起こるようになってしまった。ああなってしまうと専門家がどれだけ擁護をしようが、中身の話ができなくなってしまう。それはとても恐ろしいことだと思いました。

www.huffingtonpost.jp

 

佐野研二郎さんの件でも、どれだけ説明がなされても「出来レースだった」という説を唱える人がいる。無記名でのデザイン投票では出来レースになりえないが、そうではないらしい(彼らの説だと、事前にデザインを審査員に伝えていたのだという)。この流れで次回のエンブレム選定にいくのは、本当に危うい。広い業界でもないのだから当然、審査員とつながりのあるデザイナーによる作品が選ばれる。そのとき、「利権構造」を再び言い出すだろう。

どうして専門家=利権構造と捉える風潮が生まれたのだろうか。これはネットの登場と無関係ではない。梅田望夫さんが「高速道路」と呼んだように、素人であってもちょっと調べれば最新の情報にアクセスできる今、「専門知識」の希少性はどんどん薄れている。なので、専門家だからといって高額の報酬をもらうのはおかしいし、名誉を受けるのもおかしい。そう考える。

そんななか、佐野研二郎さんがサントリーのトートバッグや展開案などで、素材をネットから引っ張ってきて許諾を取らずに使用したのは、「やっぱりお前も俺達と同じレベルだ!」という反応を引き出した。代表的な反応は「これなら俺にもできる」だった。

さて、ほんとうに「俺にもできる」なのかはさておき、多くの人がそう信じていて、だからどんなに「これはすごいんですよ」と専門家が言っても、「たいしたことはない」となるし、なんなら「俺のほうが知っている」くらいのことになる。

こうした連鎖を断ち切るためにはどうしたらいいのだろうか。かんたんである。専門家がフィーも名誉を受け取らずにやればいいのである。100万円のエンブレムで批判が出るのだから、お金だけじゃダメ。名誉も受け取ってはいけない。つまり、隠れて仕事をするしかない。

そしてそのことによってなにが起こるか。誰も専門家になんかなりたくなくなるのである。時間もかかる、人にも理解できない、良い暮らしができるわけでもない。そんなものに、誰もなりたくないだろう。

この話をもっと広げてみると、それこそ理系離れの話にだってつながっていく。大学で研究して修士をとっても食べていけない。むしろ大卒よりも給与が低くなる。プロフェッショナルは、海外にでていくほかなくなる。

 

知識人や専門家が、ごく普通の、その人の努力の程度には尊敬される日本は、しばらく来ないと思う。だれからも評価されない、しかし道を進むしかない。ですよね? 僕は、他人を叩いている暇もなくがんばっている人にエールを贈りたい。僕も頑張ります。

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