LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ

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エンブレムにまつわる、不寛容な「正義感」への疑問

不正が行われたという話を聞くと、フルボッコするこの風潮は、悪意ではなく正義感に支えられている。だからややこしい。叩く彼らは「正しい」のであり、叩かれるアートディレクターは「正しくない」のである。「正しくない」アートディレクターの「正しくない」エンブレムを阻止するために行動することは、「正しい」のである。

しかし、まだ確定しない「盗用発覚!」の記事をシェアし、コメントで「最低の人間」と罵る彼らの方法は、とても正義と言えない。まだ確定もしていない罪を負うべきではないし、罪の大きさ以上の罰を受けることもおかしい。にもかかわらず、行き過ぎた批判をやめられない。やめるべきとも思わない。「犯罪を犯した人間を赦す理由はない」というのだ。(やめるのは、それに「飽きた」ときである。)

こうした正義感はもはや別の言葉、たとえば不寛容とか無慈悲(!?)というふうに表現した方がいいだろう。ネット社会を覆っているのは、この種の不寛容と無慈悲であり、そこで起こる対立は不寛容同士の出口の見えない摩擦である。

相手のことや、プロセスをあまり深く知りもしないまま、というよりも知らないからこそ罵倒することのできるこの態度の根底にあるのは、前回の記事にも書いた反知性主義である。反知性主義、反エリート主義には、もちろんプラス面もあるが、行き過ぎたそれは、害が大きい。

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しかし、言論の自由を理由にヘイトスピーチを取り締まれないように、害があるからといって簡単に制限することはできない。ヘイトスピーチで彼らが指摘する「在日特権」はどんどん誇張され、エンブレムによる「オリンピック利権」も200億円まで積み上がった。しかしそれは、無責任に拡散されていく。この「不正義」は裁かれることはない。

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アートディレクターは倫理的に潔癖でなければならない、しかし自分たちの手法についてはその倫理性は問われないという非対称性が、この「正義感」の特徴だろう。正義を振りかざすのは、勧善懲悪のドラマよろしく、気分がいい。しかし、この種の正義感に絡め取られてしまってはいけない。