「ゆっくりとした直感」としての〈情緒〉
いつも、直感とひらめきとを分けて考えている。直感は大脳辺縁系から起こる感情が混ざり合ったものであり、ひらめきは大脳新皮質で処理された情報によるアイデア創造である。
大脳新皮質での情報処理は、どうしても理知的なものになってしまう。感情的な直感を抑えてしまいがちである。
一方で、感情にまみれた直感も、結局自分の願望に大きく左右されてしまってよくない。そのあいだにあるもの、岡潔が「情緒」と呼ぶようなものがそこにある。
【3】 情緒とは何か
こんな風に、私、それを情緒と呼んでいますが、日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。そしてそこで時々喜怒哀楽し、意欲するし、理性するだけですね。住んでいるのはむしろ、自然や人の世と云いますが、自然や人の世の情緒の中に住んでるでしょう。
情緒とは私の入れられないもの、感情ではありません。感覚でもありません。例えば秋風がもの悲しい。それから時雨が懐しい、例えば、友と二人いると自ずから心が満たされる。こう云うの皆情緒ですね。“むかわずば淋しむかえば笑まりけり桜よ春のわが思い妻”と云うのも情緒です。
こんな風に、第2の心のあることがよくわかります。一番よくわかるでしょう。日本人は情緒の中に住んでいるから。情緒は第2の心の中のものだから。
日本人の創造性の秘密は、この〈情緒〉にあるのではないか。〈場〉を感じ取ってそこから豊かな発想をおこなうプロセスに、この〈情緒〉が欠かせないのではないか。
スティーブン・ジョンソンは、イノベーションのアイデアは「ゆっくりとした直感」によってやってくるのだという。瞬間的な、まるで電球がぱっとつくようなひらめきの瞬間などは神話であり、実際にはそこに到達するまでのゆったりとした成熟の時間があるという。
これなんかは、僕は〈情緒〉と結びつけて考えてみたいのだ。
そしてこの日本人の〈情緒〉の奥の奥にあるのが、縄文なのである。