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カンディンスキーの生成プロセスとスサノオ的破壊と創造

抽象絵画の祖であるワシリー・カンディンスキーは、絵画の制作プロセスを、インプレッション、インプロヴィゼーション、コンポジションの3つの過程としてとらえた。作品としても、この3つのプロセスを題名にしたものを多数残している。

インプレッションは、文字通り、受けた印象を絵画にする方法論で、これは19世紀後半の印象派の流れを受けている。Impression III(Konzert)では、コンサート会場で受けた印象を大胆な黄色で表現している。この段階では、抽象にまで至らない表現も混在する。

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ヴァシリー・カンディンスキー、「Impression III (Konzert)(インプレッションⅢ コンサート)」、1911年 油彩・麻布、77.5×100cm ミュンヘン、レンバッハハウス美術館

 

 

インプロヴィゼーションになると、今度は内面に即興的に浮かんでくる図像を表現する。すべてがそうではないけれども、下の作品にあるように抽象的な表現が画面の大部分を覆うようになる。

傾聴の3つのレベルで言えば、インプレッションがレベル3の全方位的傾聴(Global Listening)と位置づけられる。全方位的傾聴とは、相手の話すコンテンツだけでなく、そこにある雰囲気や空気感まで感じ取る傾聴の方法である。先のコンサートは、まさにそうした空間にある雰囲気から受けた印象を描いた。

一方、このインプロヴィゼーションの段階になると、レベル1の内的傾聴(Inner Listening)が突出してくる。インプロヴィゼーションは、ジャズの即興演奏や演劇の即興劇がそうであるように、もちろん他者との共創関係が前提となり、それはその〈場〉からの全方位的傾聴が必要となるけれど、カンディンスキーの絵画から感じるのは、そこに豊かな内的傾聴が絡み合ってくるということだ。

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ヴァシリー・カンディンスキー、「Improvisation Sintflut(インプロヴィゼーション 洪水)」、1913年 油彩・麻布、95.2×150cm ミュンヘン、レンバッハハウス美術館

 

そして、三段階目のコンポジションでは、インプロヴィゼーションででてきた図像を組み合わせながら作品を文字通り構成していく。インプレッションやインプロヴィゼーションに比べると、画面がすっきりと整理され、そこに意図があるということが理解できる。円と四角のリズムが生まれ、色彩のバランスも考慮されている。

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コンポジションⅧ
(1923年) 油彩・カンヴァス 140 x 201 cm グッゲンハイム美術館/ニューヨーク

カンディンスキー(ワシリー・カンディンスキー,Kandinsky)の代表作品・経歴・解説 Epitome of Artists *有名画家・代表作紹介、解説

 

このカンディンスキーの表現プロセスをそれぞれ、日本的なインプレッション、日本的なインプロヴィゼーション、日本的なコンポジションとして表現し直すことができるのではないかと思っている。そしてその「日本的な」というものには、弥生的な和事の日本と縄文的な荒事の日本という二面性が存在している。昨日の記事で言えば、禅の日本と山河草木悉皆仏性の日本がある。日本のこれからの未来を切り開いていくのは、後者の荒々しい、エネルギーに満ちた日本ではないか、と考えている。

おとなしい、ルールを守る、まじめな日本も良いが、それでは既存の秩序を破壊するようなスサノオ的なイノベーションは生まれない。スサノオは田を荒らしたり、御殿にうんちをするなどの乱暴な振る舞いにより追放されてしまったが、実際にはそれは無実の罪だった。田の破壊に象徴されるように、弥生的な秩序に対する縄文的な反抗であり、それは本来、新しい秩序の生成に欠かせないプロセスなのである。

日本企業内のイノベーターもスサノオのような運命をたどりがちである。「天つ罪・国つ罪」と呼ばれる古代日本における罪において、天つ罪は田の水を流出させる「畔放」や、水をせき止める「溝埋」などの、田の耕作に関係する罪が並ぶ。弥生人が縄文人の抵抗に頭を悩ましていたことが背景にあるのだろう。しかし、締め付ければしめつけるほど縄文的なインプレッションが失われていく。縄文土器を「発見」した岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言ったが、これは縄文的な荒々しいインプレッションを捉える重要性を指摘した言葉として理解できる。

話が脱線してしまったけれども、インプレッション、インプロヴィゼーション、コンポジションのプロセスそれぞれにおいて、日本のローカルな情感から浮かび上がるメソッドを捉えたいと思っている。