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地中美術館の「能舞台」的ありかた

地中美術館は地中の中に埋められた美術館であり、外観がすっかり隠されている。上空からであればその構造は確認できるが、地上からだとこうした構造は体感できない。地下に潜り込むと、まるで迷路の中に迷い込んだかのように、方向感覚を失ってしまう。あえて方向感覚を失わせるような構成にしていることは、明らかだろう。上空からの写真からも分かるように、幾何学的な構造がバラバラに配置されている。ここには、集中型回廊式展示空間にあるような、秩序が失われている。

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集中回廊式展示空間とは、入り口かすぐに大きな空間を作り、そこで美術館全体の全体像が把握できるようにし、さらにそこから回廊を回ることによって美に触れていく様式である。基本的に、教会建築のありようから来ている。教会もまた、聖堂の中でスペクタクルに人々を巻き込み、そこからより具体的な説話を回廊の中で解説していくタイプのものだ。

 

こうした一貫した構造を持たない地中美術館は、啓蒙主義的な集中型回廊式展示とは対照的な空間軸、時間軸をもつことになった。集中型回廊式展示の美術館に限らずだが、普遍的な知を展示する美術館において、時間的な変化というものは、排除すべきものであった。基本的に外の光の入り込まない空間の中で、作品は昼でも夜でも同じような佇まいを見せる。どの時間、どの文脈においても有効な知=作品として展示される中で、集中型回廊式展示は、空間だけでなく時間的な普遍性を表現した。一方、地中美術館は外光によって見せる美術館であり、時間によってその風貌を変化させていく。普遍的な時間概念に対する。時々刻々と変化していく作品は、普遍性をめざす展示にはない豊かさをたたえている。

また、すべての作品が恒久展示となっており、その作品の多くは、この特殊な美術館に合わせた制作が行われたり、設計・設置されたりした。いわゆるサイトスペシフィック・アートの文脈の中で、作品はこの美術館だけの展示がなされており、これは当然、ホワイトキューブ構造の美術館への地中美術館は環境に溶け込みつつ、同時に観客にも環境の中に迷い込ませる構造になっている。観客の身体をも「サイトスペシフィック」に変貌させる装置として機能しているのである。

ホワイト・キューブ | 現代美術用語辞典ver.2.0

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by Lux & Jourik

gigazine.net

なかでもウォルター・デ・マリアの作品には、個人的に非常に感銘を受けた。神話的な空間のなかで、我々は神のような抽象概念を感じつつ、しかし同時にここでしか体験できない一回性を強く意識する。普遍と一回性という相矛盾する要素、また時間間隔においても、そのタイトル「タイム/タイムレス/ノー・タイム」が示すように、時間の中で、しかし時間を忘れ、普遍的な時間に溶け込んでいくような体験をもたらす。

 

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www.shikokuanthroposophiekreis.com

ホテルオークラ東京や東京国立近代美術館の設計者としても知られる谷口吉郎は、芸術作品と美術館の関係を能楽の「シテ」と「ワキ」という関係として捉えたが、地中美術館においては、能楽師と能舞台という比喩が適切だろう。能舞台は、大きさも構造も、能舞台ごとに微妙に異なっている。野外での薪能などでは、その時々の天候にも左右される。そのとき能楽師は、環境に合わせて臨機応変に対応する。演目は古典として普遍性をたたえながら、そのときどきに演じられる能舞台は、個別のものとしてアウラを感じさせる。地中美術館はまさに能舞台なのだ。