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リアルとファントムの関係を結ぶ能と、中間状態に流れる時間

能というのは、あの世とこの世の境界があいまいになる、スピリチュアルな舞台芸術である。このスピリチュアルな空間を作り出すのに、もちろん能楽師の在り方、演じ方ももちろん重要だが、その舞台設計にも細部にわたって配慮がなされている。

その舞台だからこそ、生と死のあいだにある中間的な存在が登場することが出来る。この中間的な存在に、ある種のリアリティというか、人々の行動に影響を与えたという意味でアクチュアリティがあったのが江戸時代だった。

『惑星の風景』より。

杉浦日向子 江戸の頃は、リアルがすごくたよりない存在なんですね。何が現実で何が非現実なのかって考えているゆとりもなくて、とりあえず今があって自分がいるという。会っている人は目の前にいるけれど、会っていない人はもう消滅しているかもしれない。すごくたよりない存在としての自分と世界があった気がします。だから神隠しとかしょっちゅうあるんじゃないですか。

中沢新一 お能の主題がやっぱりリアルとファントムの関係を扱っているでしょ。漁師のおじいさんが出てきたんだけど、じつはこれはファントムで平家の武者だった。平家の武者がそこで一指舞って、また消えていくという。

杉浦 お能って亡霊ばっかりですね。

中沢 全部亡霊なんですよね。

この亡霊の登場を支えるのが、能舞台であり、橋掛かりであった。

中沢 お能のなかでいちばん重要なものというのは、薄明の中間状態ということになっちゃいますよね。それはどこでやるかというと、あの渡りの廊下ということになっちゃうわけですね。

杉浦 ええ。あそこが橋でもあるわけですね。

中沢 橋掛かりが重要なんですね。幕を上げて出てきまして、橋をずっと渡っていくというところがひとつの中心で、真ん中の舞台に出てきて踊る時には、人間であったり或いは亡霊であったりという区分けが出来るんですけれど、この橋の部分では区分けはないわけですね。こっちのほうがお能の中心だっていっている、あの感覚っていうのは江戸の大衆文化の原型みたいな感じを受けるんです。

杉浦 橋の曖昧な部分というのを……、もちろん軒下もそうですけれど、外と家の中とのあいまいな部分、そういう曖昧な領域が常にあるんです。

現代日本にもこの薄明の中間状態がリアリティを持って感じられる空間が広がっているように思う。たとえば震災を受けた地域に行くと、都市部に比べると断然に死の領域が近い。偶然によって生と死が分けられたあの災厄を経たあとの空間には、たとえば黄昏(誰そ彼)どきには、死が排除された都市の生活には濃厚な時間の流れを感じることがある。そしてそれは、越後妻有の里山で感じる時間の流れに近い。過去、何万年と繰り返されてきた蓄積された時間であるという重層性を感じる、そんな時間が流れている。他にも、沖縄のお墓のある風景にもそれを感じる。

 

能で言えば、橋掛かりを渡ることで生と死を行き来する。つねに生と死をつなぐ「回路」が開かれている。そしてこの回路は、日本のさまざまな場所につながっている。

惑星の風景 中沢新一対談集

惑星の風景 中沢新一対談集

  • 作者: 中沢新一,クロード・レヴィ=ストロース,藤森照信,河合俊雄,管啓次郎,ミシェル・セール,ブルーノ・ラトゥール,吉本隆明,河合隼雄,養老孟司,中村桂子,細野晴臣,杉浦日向子
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2014/03/20
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