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建築における身体と有機性

アリストテレスにとって「身体」とは、有機的なつながりであり、緊密に結合した要素からなる統一体だった。それは交換可能なパーツからなる「機械」とは異なる、必然性を持ったつながりである。一部分でも破損すると全体が台無しになってしまうものであり、それは芸術作品一般に適用できると考えた。

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アリストテレス - Wikipedia

たとえばアリストテレスが論じるギリシア悲劇は、部品から構成されていながら「生物=身体のように(観客の目には)見えるもの」である。一人の人物に起こった偶然を集めただけでは悲劇とはなりえず、個別のできごとが因果関係で結びつきながら、全体としての悲劇を表現しなければならない。それは確かに実際に起ったこととして起こりえたことではあるものの、それだけでは統一された物語とはならない。より強い因果関係が必要なのだ。

このときの因果関係とは、単純な状況的因果関係ではない。一見、ありそうもないけれども起こりえそうなことでなくてはならない。信じられないようなできごとよりもむしろ「もっともらしい不可能なこと」を選ぶべきだとアリストテレスは言う。機械的な因果関係ではなく、生命的な因果関係、観客にとって「いかにもありえそうだ」と納得させられるできごとこそが、身体的な構築物としての悲劇となりうるのである。アリストテレスはこうした理論を実際の観察から導き出し、実際の制作術へと展開した。

こうした考えをウィトルウィウスは、こうした身体的な有機的なつながりを建築物に適用し、適切な調和=シュムメトリアという概念を提唱した。美しい人体が細部に至るまで調和がとれているように、建築物においてもそうした調和を目指すべきだと考えた。

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Vitruvius - Wikipedia, the free encyclopedia

そしてこのウィトルウィウスの考えをルネサンス期に人体図として描いたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『ウィトルウィウス的人体図』である。

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ウィトルウィウス的人体図 - Wikipedia

 

そのウィトルウィウスの建築論としての擬人論(人体比例論)を受け継いだのが、フランチェスコ・ディ・ジョルジョだった。彼は、人体の各部分から得られる数比によって美しい建造物のバランスを決定できると考えた。しかし、その数比はあくまで理論上のものであり、フランチェスコを特徴づけるのは実践における柔軟性であった。

彼の著した『建築論』は、「建築の原則」「家と宮殿」「都市計画」「聖堂」「築城術」「港」「風車や起重機などの機械」を論じ、その設計が具体的に論じられていた。もともと農民出身だったフランチェスコは、ラテン語などの正規の学問を修めておらず、古典について読み解くことができなかったため、逆に古典的な理論に囚われることがなかった。理論が実際の設計と矛盾する場合には、容赦なく理論を否定する、現実に合わせた柔軟性をもっていた。

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Francesco di Giorgio Martini - Wikipedia, the free encyclopedia

 

 

現代においてもル・コルビュジエが人体からモデュロールという単位を導き出し、実際にモデュロールを用いて建築を行っている。これは、人々が建築物を使うにあたってその機能性を向上させるために行ったアプローチであった。このモデュロールがそのまま広く使われることはなかったが、身体に則した建築という試みは、その後もさまざまな展開がなされた。

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モデュロール - Wikipedia

こうした流れをみていくと、建築において身体とは、そこに理想的な比率を見出した時代から、それが実際の要素の関わりの中で実践的に消化され利用されていき、(理想の身体ではなく)実際の身体との関係性のなかで芸術が制作されていく流れを読み取ることができる。