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やじ問題の本質には、狭い空間を満たす〈空気〉がある

東京都議の塩村文夏議員への野次について、塩村議員の過去の発言や行動から資質を疑う展開になってきましたね。

こういうとき、野次を飛ばした鈴木章浩議員を批判することも、また塩村議員の過去をあげつらうことも、簡単ですよね。逆に鈴木議員や塩村議員を擁護しようとすると、それなりのロジックを組み立てないといけない。たいへんです。

あえて擁護するとなると、塩村議員についていえば、たとえば「恋のから騒ぎ」の発言をまともに受け取るのはかわいそう、ということになります。あんなの、番組を面白くするためにあえてめちゃくちゃを言わなきゃいけないし、「放送作家兼タレント」という立場からすれば、そういうのを求められていたことは容易に想像できるわけです。

また、放送作家として、女性アイドルにタガメを食べさせるような番組を作ったことだって、そういうことを求められていて、本人が仮に楽しそうに構成をやっていたとしても、それはあくまでテレビの世界の話で、普段の生活ではもちろんそんなことはやらない。

それは鈴木議員も同じ。普段の生活の中で、まさか「早く結婚したほうがいいんじゃないか」なんて言わない。それはあくまで、閉ざされた都議会という、ある意味、下世話な世界の中だからできたことなんですよ。

こうしてみると鈴木議員も塩村議員も、実はおんなじなんですよね。その空間だから許されることをやっている。それも信念があってではなく、流されてやってるんですよね。

やっぱりなにごとも、信念があってやらなきゃいけないし、あとから批判されたら堂々と受けて立てることをやらなきゃいけないってことなんです。

そしてそうした信念は「広い空間」が前提になる。狭い空間のなかだと許されることでも、それが日本全体や世界全体になると許されなくなる。それでもなお、やるのだという思いだけが信念と呼べると思うんです。