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セクハラ野次を声高に批判する人たちの無邪気さ

セクハラ野次の件、コメントが難しいのが、これがすでにさまざまな思惑のもと、利用されているから。

みんなの党も、これをネタに自民党を追い込もうとしているし、ほかにも、テレビの街頭インタビューでNHKとTBSで同じ女性が登場して批判コメントをしているのだが、彼女は実は、「男女共同参画局御用達の会社の回し者」だという指摘もされている。

ryu2 republic on tumblr — 774rider: ...

もちろん、セクハラ野次がダメなことは百も承知でいうのだけど、それを利用しようとする人々の思惑まで考えて対応しないと、とんでもないことになる。「ダメなものはダメなんだ」と批判する人たちは、なんだか無邪気に見える。政治利用されているかもしれないという懸念を持っていないようにも見えてしまう。

 

あともうひとつ気になるのが、もし自分がその場にいたらちゃんとその場で批判できていたのか、ということ。

SNSやこうしたブログなどの安全地帯から、あとから批判するのは、ほんとうに簡単。誰だってできる。ほんとうに難しいのは、その場で、毅然とした対応をすることだろう。

普段の生活の中で、たとえば他人のセクハラ発言を、わざわざその場で批判する人がいるだろうか。「ああ、この人はこの程度の認識なんだな」と冷ややかに見ることはあっても、強く批判することなどしないだろう。それは、ひとことでいえば面倒だからだ。

政治家仲間だって、無駄に敵を作るのは馬鹿らしいと考えて、そういう野次が飛んでも、「ああ、飛ばしてるな」くらいで受け流してしまうのが常ではないだろうか。そういう場所にいて、あなたは本当に批判できるのだろうか。

 

繰り返しになるけど、こうしたセクハラ野次が悪いのは大前提として、今回つきつけられていることの一つのは、そうした社会的には許されないハラスメントが行われている空間で、毅然とした態度がとれるのか、ということになると思う。そうでないと、次回同じことが身の回りで起こったときに、僕もあなたも、見逃した一人ということになってしまうと思う。