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方法主義に陥らず、テーマを深める

Facebookで久々に芦田先生からコメントをもらった。この世の中に師匠が三人いて、場の研究所の清水博先生、能の佐野登先生、そして私淑する芦田先生。

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以下、芦田先生のコメントです。

「前にも言ったことがありますが、鶴見俊輔が柄谷行人の文庫本の後書きを書いていて、その主眼は、柄谷には「たとえば話」が多すぎるというものでした。私はその切り口にはっとしたことがあります。「たとえば話」というのは、ここでのあなたとのコンテキストで言えば、方法主義だということです。たぶんあなたの講義や講話にも「たとえば」は多発していると思います。

なぜ、「たとえば」方法主義はダメなのか。それが、原理や結論の月並みな単純性を、「たとえば」の多数の展開でもって隠してしまうからです。月並みな結論自体は何も変化、深化しようとしない。しかし、本来の内容は、自分の結論を更新することにある。自分の結論を更新するためにこそ、内容と方法は一致していないといけない。方法が内容と切り離されている限り、自分自身は何も変わらない啓蒙屋になりさがる。ここが「たとえば」方法主義の問題点です。」

実際、地域の仕事をしていても、この事例主義がはびこっている。地域からは「事例」を求められ、その事例をたくさん持っている「専門家」が重宝される。これは気をつけないと、方法と内容が切り離されてしまう。ある地域で有効だった方法が、他の地域でも有効であるとは限らないからだ。京都で成功する方法が、北海道で成功しないだろう。東北の震災と神戸の震災も、共通部分もあれば、そうでないところも多々ある。これは考えてみれば当たり前である。

もともと僕はハックシリーズという「方法」を提示する本で世にデビューしている。その方法を内容と切り離していくことばかりやっていたわけだ。しかしそれはすぐに限界にくる。松岡正剛は「方法の時代である」といったが、それは内容と切り離した方法ということではなかった。松岡正剛の日本文化を扱った本は面白いけれど、編集術を取り出した本はいまいち退屈に感じてしまう。方法を切り離すと、生命は失われてしまう。

そういう実感もあるので、方法だけをしたり顔で提示するのはもういいかなと思っているところに、芦田先生のコメントだったわけです。