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八紘一宇発言をどのように批判すればよいか?

僕のツイッターやFacebookのタイムライン上では「八紘一宇」大批判大会が繰り広げられているけれど、問題なのは、これはあくまでネット上のことだけで、実際の庶民感覚みたいなところでは「世界が仲良くしようという八紘一宇の何が悪いの」くらいの話になっていると思う。そしてその根底には、「戦前がなんでもかんでも否定されるというのは、やりすぎだよな」という感覚がある。三原じゅん子のブログでの説明も、まさにそういうニュアンスにあふれている。

ameblo.jp

 

だから、「八紘一宇なんてとんでもないことを政治家が言った!」と批判するのは、逆効果になりうる。とくに新聞含めたいわゆる「インテリ層」が言ってしまうと。庶民からスレば「歴史を知らんのか、バカモン!」みたいな「上から目線」になる。(そういうツイート見るたびに、「みんな知ってるよ、知っててそういう政治家を支持してる人がけっこういるんだよ」って思ってしまう。そういう意味で、頭ごなしの批判をする人たちもまた、無知だと思う。)

www.tokyo-np.co.jp

 

この言葉、国柱会の田中智学が使い始めたという由来も興味深い。神道的な要素を持った日蓮宗のこの思想は、たぶん、その「インテリ層」とまったく相性が悪いと思う。宮沢賢治も会員だったこの会の「八紘一宇」は、まさに「雨にも負けず」のこの一節に通じるものだと思う。

東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい

まさに、8つの方位(八紘)が、ひとつの屋根(一宇)にはいる話でしょ。

何が言いたいかというと、宮沢賢治のこの一節に共感を根底にもちながら、「八紘一宇」の不幸な歴史を語らなければ、批判のメッセージはまったく伝わらないだろう、ということ。侵略のロジックとして使われた「八紘一宇」だけではなく、慈しみの心としての八紘一宇も射程にいれながらじゃないと、まったく響かないと思うんですよ。