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曽野綾子コラム。切って捨てたその刀で、自分の身を切らなければウソだ

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曽野綾子の産経新聞でのエッセイがひどいのは大前提として、そしてそれを掲載する産経新聞の方針がおかしいことも大前提として、書いてみる。

難しいのは、曽野綾子が個人的な思いを述懐するというレベルにおいて(つまり「社会の公器たる新聞」に載せるのではなく)、「分かれて暮らすほうが楽」みたいな素朴な感想が出てくることについては、難しい問題だと思ってしまう。異質な文化や生活が混ざり合うと、何も考えずに暮らせるという意味での「快適さ」はないかもしれない。

たとえばこのインタビューにおいて、何度も個人的な経験のみから語ろうとしている。あくまで個人の体験を語っただけだというのが、曽野綾子の主張だ。


荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目

 

しかし、曽野綾子をそう簡単に断罪できるだろうか。断罪できる人がいるだろうか。(何度も書くが、新聞に記事を書くということについて批判するのは当たり前。)

たとえば、夜のニューヨークで前からガタイの大きな黒人が歩いてきたので身構えた、とする。そのときに明確な「差別」の意識はなくても、ある種のステレオタイプが働いているのは間違いない。「自分も(ある種の)差別をしている」と実感する。つくづくひどいやつだと自分のことを思う。そしてもちろん、黄色人種として逆の経験もする。なんという世界だと思う。

人間の認知の仕組みとして、こうしたステレオタイプをまったく拭い去ることもできない。曽野綾子をバッサリ切って捨てられないのは、そうしたステレオタイプ的な認識の方法を、自分も知らず知らずのうちにとっていることを知っているからだ。切って捨てたその刀で、自分の身を切らなければウソだ。

曽野綾子のようなエッセイを新聞が掲載するのはおかしいことは前提として、しかし2chのような場ではこうした「ホンネ」がどんどん表出している。それが自分の中にまったくない、と言い切るだけの自信もない。(もちろん、あんな記事を新聞に書いたりしない自信はたっぷりある。)