LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ

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あらゆるキャリアは偶然である

(2013年11月30日に行われたMBA EXPOでの講演録です。)

この講演は「MBAが素晴らしい」ということを言う趣旨なので、まあ言っちゃいけないのかもしれないですけれど、実際ビジネススクールに行ってみたとき、僕は「こんなもんか」というふうに思いました(笑)。

ビジネススクールは大変だ、なんて言いながらも、じつは仕事の方が相当大変ですからね。「こんなものでいいのか」という印象でした。もちろん真剣にやればやるほど、タスクはどんどん増えていくわけなんですけれども、会社で働いているときのプレッシャーに比べたらまだ少ないように感じました。

何しろ、広告代理店で営業として働いていた頃は、忙しいときは残業時間が200時間を超えてくるんですね。「人間が良からぬことを考えるような状況ってこういうときなんだろうな」ってことが、よく分かったんですよ。それに比べたら、ビジネススクールは天国みたいなところでした(笑)。

僕は、もう少し自分でも何かやってみたいと思って、在学中に起業をしました。ちょうど車で5時間、往復10時間くらいのところに、ネイティブアメリカンの居住地があったんです。過去の歴史上の経緯から形成された特別なエリアがあって、ホピ族とかナバホ族とかが住んでいた。そこでインディアンジュエリーを仕入れて、日本に販売するというビジネスをやっていました。

商品原価は(販売価格の)半額で仕入れていましたが、結構売れて、売れる月は50万円くらいが入って25万円くらい手元に残る感じでしたね。「学生が片手間にやるには生活費も稼げるし、いいな」と思ってやっていました。

このビジネス以外にも、サンダーバードというのは、結構学生が国際的だったので、翻訳事業をやろうと思いました。そのへんの学生をつかまえて英語経由で翻訳したり、日本語ができる外国人も多かったので、そういった人たちを集めて翻訳をやって。それも多いときには月70万くらいいきましたね。その仕事は原価率

6割くらいだったので4割くらいが利益で、これもいけるなぁ、と。

それはそれで授業を受けながら、楽しみながらやっていたんですけれども「もうちょっと大きいことやってみたい」ということで、シリコンバレーに行ってインターンシップをやったんです。

僕はシリコンバレーに3ヶ月ほどいました。ちょうど2003年の末から2004年の初めにかけてですね。ちょうどその頃、Friendster(フレンドスター。2002年3月に米国カリフォルニアで開始されたSNS)が注目を集めていて「これからはSNSだ!」という話になっていました。

まだmixiとかGREEとか登場する前です。その当時、さまざまな日本の会社がアメリカに来ては「SNSはどうなんだ」という話をしていた。先見の明のある人は、2004年当時からすでに「SNSはモバイルでヒットするに違いない」という話でお酒を飲みながら盛り上がっていたようですね。

2004年には、みなさんごぞんじの通り、mixiやGREEが生まれて、2年後には上場というふうに一気に駆け上がっていったんです。

全文はこちらから→小山龍介の『ライフハック・ストリート』 | The Book Project 夜間飛行

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