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新しい形式を生み出す契機としてのワークショップ

 

美術と知能と感性―認知論から美術教育への提言

美術と知能と感性―認知論から美術教育への提言

  • 作者: アーサー・D.エフランド,Arthur D. Efland,ふじえみつる
  • 出版社/メーカー: 日本文教出版
  • 発売日: 2011/01
  • メディア: 単行本
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『美術と知能と感性』

刺激と反応を客観的に観察し記述する行動主義心理学は、美術教育における内的経験を排除した。ピアジェは、こうした機械論的な行動主義による人間観を乗り越えるべく、認知の構造であるスキーマに注目する認知的発達の理論を導入した。これにより、内的経験としての認知が注目されることになったが、一方でピアジェが感情を伴う美術を低いレベルのものとしていたため、美術教育の領域での限界があった。ヴィゴツキーはより社会的、文化的影響に着目した。人は、文化の影響の内面化することによってより高次の形式を獲得できると指摘した。特に言語の獲得は、外界の認知に大きな影響をあたえるものだった。

しかしこのヴィゴツキーの指摘にも限界があった。すでに文化的に存在しているものを内面化するというこの指摘は、既存の文化には存在しない新しいものの創造するプロセスを説明できないのである。文化による形式の再生産ではなく、形式そのものの創造がどのように起こるのか。認識論の流れから、シンボル処理論、社会文化論、統合理論の三つの取り組みが行われた。統合理論では、シンボル処理論が抱えていた客観主義という課題や、社会文化論のもつ受動的な学習といった課題を乗り越え、主体的に知識は構成されていくと考えた。ここから「複雑でうまく構造化されない分野」の学習という課題が生まれ、認知の柔軟性理論が導かれた。すなわち、まだ形式化されない分野について新しい認知の形式を生み出すプロセスを明らかにしたのだ。

さらに想像的思考の研究において、イメージ=スキーマは知覚と概念をつなぐものとして、身体経験との統合がなされた。身体経験という「複雑でうまく構造化されない分野」としてのイメージ=知覚がスキーマ=概念へと統合されていくのである。認知論から見た美術教育の学習のプロセス、創造のプロセスが明らかにされたのである。

ビジネスの世界での応用

さて、そうしたイメージ=スキーマのような身体経験と概念の統合という芸術的契機は、ビジネスの世界でも必要とされてきている。既存の事業をそのまま継続することは、既存の企業文化を無批判に継続し新しい文化を生み出せない、新しい認識を生み出せないという意味で、ヴィゴツキーと同じ轍を踏むことになる。常に変化し続ける市場環境、すなわち複雑でうまく構造化されない外部環境に合わせて、認知を柔軟に変化させ、新しい形式や新しい文化を創造しなければならないのである。

その方法論として、デザイン思考と呼ばれるイノベーション手法が導入されている。d.schoolでは、デザイン思考プロセスの五段階、「共感」「問題定義」「アイデア創出」「プロトタイプ製作」「検証」として定義している。私は企業内でのデザイン思考の導入を行っているが、そこでは重要な芸術的契機が起こっている。

そのひとつとして、行動主義心理学の枠組みにとどまっていた製品開発手法を認知的なプロセスへと推し進められる点があげられるだろう。従来のマーケティングは消費者を機械論的に扱い、短絡的な刺激—反応を調査することで、商品開発を行っていた。消費者の内的経験は無視されていた。しかし、デザイン思考の「共感」のプロセスにおいては、人々の行動を刺激—反応といったレベルではなく認知のレベルで理解しようと試みるのである。ときにはエスノグラフィと呼ばれる行動観察を行い、顧客の行動から内面で起こっていることに共感をし、商品開発につなげていく。ここで行われている他者への共感は、二重の芸術的な契機がある。ひとつはユーザーを、今述べたように、認知的な存在として捉えることであり、もうひとつ加えるとすれば、共感を通じてユーザーの認知を自分自身の内面へと沈着させ、新しい認知としてスキーマを獲得するという点である。思いもよらない他者の行動をみて、新しい認知の形式を獲得することができるのである。

共感から創発へ

しかし、この「共感」のプロセスは課題もある。どこまで詳細に観察を行ったとしても、当事者の感じている内的経験と同じ経験を共有することはできないという問題である。他者の行動を見て獲得するスキーマは、他者の持つスキーマと完全に一致することはない。同じ美しい物を見て、思わず手にとって見るという行動を取っても、どのような美しさを感じているかということについては、バラバラである。他者は自分とは異なる。安易に「共感」できたと判断するのは、行動主義と同じ過ちを犯すことになる。誤解に満ちた「共感」をもとに行う「問題定義」や「アイデア創出」は、誤ったものになるだろう。

厳密な意味で他者と共感はできないのだという前提をおいたとき、この「共感」のプロセスは、観察して認知するという一方通行のプロセスではなく、新しい認知の形式が他者との間で創発されるという双方向のプロセスへと置き換えられる必要がある。私はここに、即興劇(インプロビゼーション)を導入することで、この問題を乗り越えようとしている。インプロビゼーションにおいては、シナリオのない中で新しいストーリーを紡ぎだす必要がある。しかもそのストーリーは、他者と共創することになる。想定外の他者の行動により、もともと想定した物語は変更を余儀なくされる。物語は他者と私の間で生成され、どちらの意図とも違う、新しいものが創発されていく。

このときの新しい創造物は、私に新しい世界の認知の形式を与えてくれる。他者を観察して得られた認知の形式ではなく、他者との共創によって得られた認知の形式は、本質的に異なる。他者とのダイナミックな関わりの中で生まれた認知の形式は、他者をも変貌させる契機になりうる。この認知が多くの人に共有されれば、文化という構造をもつことになるだろう。インプロビゼーションとは、他者との間に「複雑でうまく構造化されない分野」を意図的に作り出し、そこから創発的にイメージ=スキーマを作り出すプロセスだということができるだろう。

さらに私はここにワールドカフェを組み合わせている。ワールドカフェとは、四人一島に分かれてあるテーマについて語り合い、しばらくしたらメンバーをシャッフルしてアイデアを他家受粉させるやり方である。二〇五〇年の新事業などのテーマを設定し、そこで自由に発想を広げ、その発想を模造紙へとイラストも交えながら書き込んでいく。思いついたものを模造紙に書き込むことで他者からのリアクションを誘発し、イメージを創発していく。途中でメンバーがシャッフルされることによって、さらにその創発の場がダイナミックに変貌していく。そしてそこでのイメージは、参加者全員に新しい認知の形式をもたらしてくれる。

このように、ダイナミックな関係性の中に新しい形式を生み出す契機を設計することで、スタティックな共感による限界を乗り越えられるのではないかというのが、私のワークショップ設計における問題意識である。これは、認知論における社会文化的影響について、文化が認知を変え、認知が新しい文化をつくるという双方向の影響関係を再現し、再認識する契機としても機能していると考えている。