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ひとり親家族論争で、常見さんが批判されるのはどうして?

僕もひとり親家族に分類されるので、なにかしら言うべきなのかもしれない。

togetter.com

常見さんのいう、「タイトルに配慮がない」というのにまったく異論はないです。

そのタイトルとはこれ。ご存じない人のために念のため。

子どもを5,000円で育てられますか?貧困で苦しむひとり親の低すぎる給付を増額してください!

「ひとり親」のところを、「失業者」とか「被災者」とか「障害者」とかにしたら、その気持ち悪さってわかるでしょうか。失業すれば、被災すれば、障害をもてば、もちろん貧困に陥る可能性は格段に高まる。これはファクトとしてあるだろう。けれど、だからといって十把一絡げに「貧困に苦しむ」って、普通言わない、つけない。そうするとどうしても「被災にあってかわいそう」「障害があるからかわいそう」とかいう感じの、上から目線の支援になる。

だから常見さんは「貧困じゃない人まで貧困と思われる差別を助長するから、書き方を考えてよ」って話をする。僕もそれは同感だ。駒崎さんは「54%が貧困であるというファクトがある」と反論しているけれど、じゃあ正確なファクトで書けばいいのにと思う。「54%が貧困にあえいでいます」でいいじゃない。

そしてここで終わらず、不毛なことに、ボタンを掛け違えが議論が続く。駒崎さんは、シリア難民の話を例に出し、それじゃ解決しないという。でも、全然違う話だと思いますよ。

具体的には、こんなふうに書いている。

例えば、「内戦によってシリアの難民達が悲惨な状態に置かれている。助けねば!」という主張に対して、「シリア人の中には悲惨じゃない人もたくさんいる。シリア人全てが難民かのように言うのは違う。傷ついた」という反論があったとしましょう。

これは事実としては正しい。シリアにも爆撃を受けてない地域は(少ないと思うが)存在するでしょう。間違ってはいません。しかし、問題解決にとっては無意味な言説です。なぜならここでの本質はシリア人全員が悲惨かどうかではなく、悲惨な状態にあるシリア人をどうやって助けるかを考えることにあるからです。

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常見さんは「ひとり親を助けなくていい」とは言っていない。駒崎さんの主張を正確に書くならば、「シリア人が全員悲惨であると言ったほうが、一部はそうではないと言うよりインパクトがあって、問題解決につながる」となる。

今回はもちろん違うけど、世界にはこうした「かわいそうな人達を助けよう」といって募金を集めるのが、ビジネスになっているところもある。寄付する人たちを満足させるためには、かわいそうな人がいなければならない。そのかわいそうな人を求めているNGOを呼び寄せるために、わざと悲惨な状況を作り、未解決のままにして、支援を受け取る動きもあるらしい。

たとえば東南アジアでは腕のないこどもが物乞いをしているが、あれは事故で失ったのではなくお金をもらえるようにと切られている。だから、かわいそうでもお金をあげてはいけないと地元の人に言われたのを思い出す。

 「かわいそうだから支援」というロジックは危うい。「一部は貧困ではないが、54%と過半数が貧困なのだから、貧困で苦しむといったほうがインパクトがある」というロジックも危うい。もっと理性的な表現はないものだろうかと思う。キャンペーン系の語り口は、正直、違和感が多い。

 

そしてさらに、駒崎さんはこうもいっている。 

僕もそれなりに社会問題に対して何らかアクションをしているけど、あまり人に対して「アクションされたら如何ですか?」なんて言い方をしたことがないなあ。それに、常見さんが社会問題に対してアクションをしていないとはまったく思わない。誰もが仕事を通じてアクションしているだろうに。「常見はなにもしてないだろ」的なニュアンス……。

常見さんでなくても、「意識高い()ひとは違う」と思った。

 

とまあ、好きでもない(笑)常見さんをちょっと支援してみるなう。