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メディアは「ことの真相」には無関心で「だれを叩くか(叩いても怒られないか)」にしか興味がない

東京大学先端技術研究センター准教授でイスラムの専門家である池内恵さんのFacebookからのシェアです。

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「誰に責任があったのか」という問いを立てられた場合、「誰にも責任はなかった。あのときはみんなそれなりに一所懸命頑張ったのだ」という回答しかでてこないのは必然である。

それを促すのは、「どこに問題があったのか」に無関心で、「誰に責任があったのか」だけを追求し続けるメディアである。だから朝日は社説で「責任のありか」と述べたのである。もちろん、問題なのは朝日新聞だけではない。他社の新聞も、テレビも、雑誌も基本的には「なに」よりも「だれ」にしか関心はない。

これは「最近のマスコミはなってない」という意味ではない。昔っから日本のマスコミは「なっていなかった」のだ。

人質事件のときには、Facebookでも何度もやりとりが発生してうんざりしたんだけど、ここに問題が集約されていると思う。「○○が悪い」(←ここに「安倍首相」や「自民党」、「官僚」などが入る)という論法は、ほとんど無意味だ。

そのような無関心は何を生むか。(政治的な圧力などで)「責任の所在」を追求できなくなった時は大本営的報道しかできなくなるのである。戦時の新聞が万歳万歳と事実を隠蔽し続けたのはそのためだ。現在のマスコミもその方向に向かっていないだろうか。

メディアは「ことの真相」には無関心で「だれを叩くか(叩いても怒られないか)」にしか興味がない。しかし、それを要求するのはもちろん国民・大衆・世論である。叩けば叩くほど売れるのだから、メディアが叩きたがるのはあたりあえだ。叩けば売れる。まるでバナナ売りである。叩き売りだから売れるのではなく、バナナの味(=ことの本質)で吟味すべきなのに。

根拠もないまま「○○が悪い」と書いたり、 発言する人をテレビに出したりして、「圧力」がかかるのは、ほんと自業自得としか言い様がない。何が問題であったのかという事実を論理的に追求できれば、「圧力」なんて気にすることはない。そういう言論の自由は、(北朝鮮などとは違って)確実にある。本だってブログだって書き放題だ。

安部首相だけでなく橋下さんなどに「ファシズム」というレッテルを貼って悦に入るメディアも多いけれど、そうしたメディアも「ファシズム的状況」の責任の一端を負っている。

平田オリザのこの記事にも、がっかりしてしまった。古賀氏のように事実ではないことを公共放送でコメントすることが、反ファシズムの闘いなんだろうか……。

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